脳出血後遺症からの回復も形而上学的?
5月27日の日経新聞の「春秋」欄は認知症を取り上げ,短期記憶が失われて同じ会話を繰り返したり,時間と空間の認知が失われて徘徊するようになる症状が少しずつ進行していく様子が人間らしさとは何かを考えさせるということで形而上学的と称している。

妻が経験した脳出血では,時間と空間の認知はもちろん記憶そのもの(言語も身体の動かし方のアルゴリズムも)が一瞬にして失われてしまったが,そこからの回復は時間をかけて少しずつ進行している(記憶喪失ドラマのように会話したり,何かのショックで過去をすべて思い出したりはしない)。そういう点で脳出血後遺症からの回復も形而上学的かもしれない。
だからという訳ではないが,その様子を私はWebに綴っている。(2024-05-27)
「春秋」欄の著者は,認知症の前段階を義母の話として「暗い洞窟の中に入っていくような気持ち」と表現している。それでは脳出血後遺症からの回復が進む段階はどんな感じなのであろうか。残念ながら妻はまだそれを言葉で表現できるレベルには達していない。彼女が充分に回復した時に,回復途上の頃のことを話してくれれば参考になるのだが,回復途上のことはあまり記憶に残らないことがあるみたい(「発病後に記憶できていないこと」のページを参照)なので,分からないままかもしれない。
脳出血後遺症からの妻の回復の課程を特に言語の習得について見ていると,子供が言語を習得していく過程とは異なることが分かる。
6年半かけて小学1年程度の会話ができるようになったということは子供の学習とあまり変わらないが,文字の習得課程はかなり異なる。妻は,比較的容易に漢字を学習しているのに,仮名の取扱いには今なお手間取っている。「会話と文章筆記」のページを参照。
電車に乗っていない
NHKの5月30日夜のTV番組「SONGS」で郷ひろみが「50年間電車に乗っていない」と言っているのを聞いて,背景は全く違うけど,私も妻が病気になって退院してからの6年半ほど電車に乗ってないことに気付いた。電車だけでなく,飛行機にも船にも乗っていない。
4ヶ月に1回だけリハビリクリニックに妻を連れて行くために15分ほどタクシーに乗るのが最も長距離の移動で,その時以外はほぼ毎日自宅から約300メートルの圏内を徒歩移動している。
脳出血後遺症の妻の介護で1時間以上家を離れられないという条件によるものだが,狭い範囲にいろいろなファシリティが集っている京都市内という環境がこの引き籠り生活を可能にしている。(2024-05-30)
ベッドから落ちる
5月6日の未明に,妻の左側に寝ていた私がベッドの左下に落下した。ベッドから落ちる時って,空中で目が覚め,一瞬だけ浮遊感を味わった直後に床に叩き付けられる。怪我はなかったが,落下音で妻は目が覚め,私も初めての経験で驚いた。

アイキャッチの写真に示すように,妻の右側には,介護保険適用で借りている支柱(手すり)が装備されていて,以前に彼女が痙攣を起こした際(「病的反射と全身痙攣」の節「全身痙攣」を参照)にも転落は防げた。しかし私の左側には当然のように支柱はない。
妻が寝返りを打ち易いように,私はベッドの左端ギリギリの位置に寝ることが多いが,これまでどんなに熟睡しても落ちることはなかった。私の老化によって睡眠中の姿勢制御機能が劣化したのかな? (2024-05-06)
マーレイの幽霊
ある年齢になると起床直後の筋肉の動きが悪くなるとは聞いていたが,私は2,3年前からその状態が進みつつある。妻への介護とは直接の関係はなさそうだが,どうしても朝さわやかに彼女に対応することができず,申し訳ないと思っている。特に痛みがあるわけではないが,とにかく動きにくい。起床後20分ほど経つと,何とか回復する。
妻と一緒に廊下を歩いて洗面台に向かう時の歩行姿勢は,杖をついて歩く妻の方がマトモに見える。チャールズ ディケンズの小説「クリスマスキャロル」に出てくるマーレイの幽霊が足に付けた鎖を引きずりながら歩く姿を連想して,マーレイさんは大変だったんだと思いながら,朝の洗顔をしている。(2023-12-06)
日々の血圧変化
妻介護の引き籠り生活をしていると,夫婦の生活パターンが同じになるためか,夫婦の日々の血圧変化がよく一致している。血圧は,妻も私も起床時と就寝前に毎日測定。体重は毎週土曜日に測定。妻のSpO2は,看護師・療法士さんが週末を除きほぼ毎日測定。
夫婦の血圧変化の例として,2023年1月の血圧を添付する。上が妻,下が私,縦軸の単位は mmHg。(2023-02-28)

さらに最近は血圧の変化だけでなく,血圧の値と脈拍の値そのものもよく一致するようになった。例えは昨日からの値を,systol(mmHg)/diastol(mmHg)/脈拍(ppm)で示すと次のようになる。(2024-04-07)
======== 私 ========= 妻 ======
昨日朝 116/82/76 118/78/75
昨日夜 110/78/87 107/73/87
本日朝 118/77/73 118/79/77
性別も年齢も遺伝子的にも異なる個体が,介護の引き籠り生活ということで,食べ物,飲み物,生活時間,行動パターン等について殆ど同じ生活を6年半も続けると,こんなにも同化するものかと驚かされる。体温,体重,トイレの頻度なども互いにかなり類似してきている。フィジカルには「似たもの夫婦」なんていうレベルを超えていて,笑える。客観的に見て「気持ち悪い」のレベルか。(2024-04-07)
支柱(手すり)を装備
その後,私はベッドから落ちてはいないが,睡眠中の姿勢制御機能が落ちていることは確実と思われるので,「転ばぬ先の杖」として私が寝ているベッド域の左側に支柱(手すり)を導入した。妻のために既に導入済みのベッドの右側の支柱と同じもの。(2024-06-17)

さらに以前から何度か私が転びそうになったことのあるベランダへ通じるガラス戸の横にも支柱を立てた。妻がベランダに出る際にも有効に使ってもらえそう。(2024-06-17)

私自身の要介護認定-要支援1
妻の介護(要介護3)を行っている私自身が何と要支援1(要介護状態区分等の最も軽いレベル)の認定を受けた。事の経緯は次のとおりだが,ここで特記すべきは,私からのアクション(申請書を書いたり電話したり)は全くなかった。妻の要介護認定に際しては,私が区役所に行って代理の申請業務を実施する必要があった(「介護は文書処理だらけ」の節「介護保険申請」を参照)。
- 月1回の頻度で訪問してくる妻担当のケアマネージャさんが,私を見て「酷い歩き方をしている。要介護認定を受けた方がいい。申請は私がやっておく」と言い,私の主治医(整形外科)を聞いてきた。(2024-05-07)
- 介護保険資格者証と介護保険負担割合証とが市の介護認定給付事務センターから郵送されてきた。(2024-05-13)
- 主治医から「介護保険の申請の診察をするのですぐ来い」との電話を受け,その日に受診。受診内容は問診だけで,他の病院への通院を聞かれた。費用は120円(医学管理等)だけ。診察結果は医師から市に直接提出される。(2024-05-14)
- 要介護認定調査員の訪問(45分間)を受け,短時間記憶テスト,立ち上がり/歩行テスト,両脚の目視チェックを受けた。(2024-05-16)
- 介護認定給付事務センターから郵便で要支援1の認定結果通知と共に,介護保険被保険者証の送付を受ける。同日,妻担当のケアマネージャさんから連絡を受けた(と思われる)業者が,「お試し」用として支柱(手すり)を持ってきて,室内に設置(前節「支柱(手すり)を装備」を参照)すると共に,認定結果通知が届いたことを市の地域包括支援センターに連絡してくれた。(2024-06-17)
- 地域包括支援センターから指名された私担当のケアマネージャさんの訪問を受け,ケアプランを作成するための面談(経緯,現状,環境等について)を受けた。(2024-06-21)
- 介護認定給付事務センターから,地域包括支援センターを追記した介護保険被保険者証(改訂版)の送付を受けた。(2024-06-26)
- 私担当のケアマネージャさんと業者の再訪があり,ケアプラン(主に右膝の関節症への対応)の説明を受けてから,介護予防サービス-支援計画書と契約書に署名する。業者は歩行器を用意してくれて,先に設置した支柱(手すり)を含む貸与説明書へのサインを私に求めた。(2024-07-05)
レンタルで私が使うことにした買物用歩行器: Panasonic スムーディ PN-L70101を下図に示す。

右膝と足底に装具を装着
私は右膝に変形性膝関節症を患い(「脳出血発病後6年目の生活」の節「私自身」を参照),2013年の春から近所の整形外科医院で診療を受け,2ヶ月に1回の通院を続けている。先週の診察で久しぶりにX線検査を受け,症状が多少進んでいることが分かって,装具を着けることを勧められた。(2024-10-03)
本日完成した装具(右膝と足底)を医師のチェックを受けながら装着し,そのまま20分ほど歩いて帰宅。それを見た相撲ファンの妻は「照ノ富士みたい」ですって。午後ずっと装着したままにしていたら夕方になって,右太腿の筋肉がつってしまったので,夕方の買い物には装具なしでスーパーに行った。少しずつ慣らしていく必要がありそう。(2024-10-10)

足底の装具には,偏平足サポータのスペーサに加えて,右脚のO脚を多少矯正するようなスペーサが入っている。

